The Jazz Piano Book 第5回2010/07/02 21:51

稲森康利ジャズ講座
『The Jazz Piano Book 第5回を受講して』    2010.6.27

今回から数回に渡ってスケールの勉強です。
ジャズの勉強をするとき始めにスケールを知っていると便利です。コードで表すと複雑になってしまう音でもスケールを使えば瞬時に頭に思い浮かべる事ができるからです。そういう理由からアドリブする際もスケール理論は欠かせないでしょう。

ここでは今回は学習した内容から、リディアン・スケールについて紹介します。
ビバップ期以前、ジャズ・ミュージシャンのほとんどがメジャー・コードの第4音を経過音として使っていました。ところが、チャーリー・パーカー、バド・パウエル、セロニアス・モンクといった、ビバップ期の創始者達が第4音を半音上げて弾きはじめたとのことなのです。この音はリディアン・スケールの特徴音である4番目の音です。
当時、物議をかもしだしたこの音も今ではすっかり定着しています。『Happy Birthday』や『Moon River』のメロディにも使われているそうです。

最後に稲森先生がされたおもしろい推理をここでご紹介しましょう。
『Blue In Green』(〈リード・シート3巻 稲森康利著 中央アート〉参照)という曲があります。
作曲はM.Davisとされているのですが、実際はB.Evansではないか、というのが先生の考察でした。曲調からしてもそうであるし、当時は印税の面からも作曲はバンドリーダーの名前にされる事があった為です。
哀愁ただよう大人のムードはEvansのセンス・・・なるほどと思いました。

(文:川地千賀)

[音楽こぼれ話]“ジェローム・カーン“2010/07/07 21:50

ジェローム・カーンは、1885年1月27日、ニューヨークに生まれました。ドイツ系ユダヤ人のビジネスマンであった父は、彼もビジネスの世界に進むことを望みますが、生来音楽が好きだったジェロームは、音楽の道を進むことを決心していました。短期間、ドイツの音楽学校で学びますが、すぐにニューヨークに戻り、ニューヨーク・ティンパンアレイのソング・ブラッガーになります。当時、レコードはなく、音楽は楽譜というカタチで受け継がれていました。ティンパンアレイには多くの音楽出版社があり、その楽譜を実際にピアノで弾く仕事がソング・ブラッガーです。この頃の偉大な作曲家の多くが、このティンパンアレイでソング・ブラッガーとして働き、そこから作曲家として巣立っていました。ジェローム・カーンもその先駆けのひとりです。

この頃のブロードウェイは、ヨーロッパのオペレッタやイギリスのミュージカルコメディが主流でした。それらは米国風にアレンジされました。そんな中で、ジェローム・カーンは1905年から1912年でおよそ100曲の挿入歌を作りました。1914年、『ユタから来た娘』の挿入歌”They didn’t believe me”が大ヒットします。翌年から脚本家ガイ・ボルトンと組んで、プリンス劇場でのショーを始めました。空想的な物語を脱して、アメリカの日常生活を題材にしたこれらのショーは、今までのミュージカルの概念を一新するものでした。

1927年には、エドナ・ファーバーのベストセラー小説をもとに、オスカー・ハマースタイン2世の脚本、ジェローム・カーンが音楽を担当し、ミュージカル『ショーボート』が公開されます。それまで取り上げられることのなかった黒人音楽を中心に、ショーボートに暮らす白人や黒人たちの生活を通して、社会問題(人種偏見、離婚、アルコール中毒など)まで掘り下げた画期的な作品でもありました。このミュージカルでは“O’l man river オールマンリバー”などの名曲を生み出します。この作品は映画化もされ、ミュージカル史上の歴史的な作品となりました。

 アーヴィング・バーリンなどとともに、アメリカ音楽の産みの親とも言えるジェローム・カーン。ブロードウェイミュージカルがアメリカの音楽文化に与えた影響は計り知れません。多くの演奏者がこぞって、彼らの作品を演奏し続けるのは、その音楽が力を秘めているからであり、その力が衰えないからでしょう。これらはアメリカのポピュラー・ミュージックと呼ばれ、そして時代を経て、スタンダード・ナンバーとなり、人の心に多くの想い出とともに伝えられてきました。

 ジェローム・カーンは、その後も多くの作品をブロードウェイだけでなくハリウッドにも提供しました。1945年11月11日、『ショーボート』リヴァイバルのため、西海岸からニューヨークに来ていたときに、脳溢血のため路上で倒れ、そのまま帰らぬ人となりました。今年は生誕125周年にあたります。

●代表作
They Didn't Believe Me(1914), Look For The Silver Lining(1921), Can't Help Lovin' Dat Man(Of Mine)(1927), Ol' Man River(1927), Smoke Gets In Your Eyes(1933), Yesterdays(1933), The Way You Look Tonight(1936), All The Things You Are(1939), I'm Old Fashioned(1942), Long ago and faraway(1944)

池田みどり

[音楽こぼれ話]“ハロルド・アーレン“2010/07/15 21:47

ハロルド・アーレンは、“オズの魔法使い”の挿入歌、“虹のかなたに~Over the rainbow”の作者として有名です。1905年2月15日、ニューヨークに生まれました。彼の父親はユダヤ教会の合唱団の指揮をしていました。ハロルドは9歳からピアノを習います。彼はどうも練習は好きではなかったようですが、クラシックの楽譜をいとも簡単に弾いてしまうほどの才能がありました。しかし、彼はクラシックよりモダンミュージックに興味があったようで、12歳ですでに作曲をしています。それはラグタイムのような曲で、その後ジャズに熱狂的になり、バンドが町にやってくると、何としてでも見に行くほどでした。10代になると、いくつかのジャズバンドを結成し、ボードビルや映画館などで仕事をするようになりました。20歳になると週に75ドルから100ドルも稼ぐようになり、各地を巡業するほどにまでなりました。彼は作曲より歌うことのほうに情熱をかけていました。

1929年、ミュージカル“The Great Day”の役を得た24歳のハロルドは、伴奏者が風邪で休みだというので、リハーサルの代理をすることとなります。彼は遊びがてらに役者の登場にテーマソングをつけますが、そのアイディアが面白いと取り入れられ、彼はそのまま作曲家として迎え入れられることになります。そこで出逢ったのが、作詞家のテッド・ケーラーでした。歌手としての成功を目指していたハロルド・アーレンですが、この出逢いによって、作曲家として本格的に活動することになります。1930年には”Get Happy”が大ヒットします。

1920年代後半から1930年代、”コットンクラブ“は、キャブ・キャロウェイやデューク・エリントンらによって全盛時代を迎えていました。1930年から1934年にかけてハロルド・アーレンは専属作曲家となり、”Between the Devil and the Deep Blue Sea“”I’ve Got the World on a String” “It’s Only a Paper Moon”など、次々とヒット曲を生み出しました。特に”Stormy Weather”は、彼の親友である歌手エセル・マーマンの伴奏をし、ラジオ・シティ・ホール出演をきっかけに、全国各地のツアーを行いました。

 1938年、MGM映画“オズの魔法使い”制作のために、作詞家E.Y.ハーバーグとともに契約をします。“虹のかなたに~Over the Rainbow”は、突然、天から降りてきたように彼の頭を占領しました。彼は車の中で、あわてて書きとめました。翌日、ブリッジの部分を作曲しましたが、ハーバーグは曲想が合わないと指摘します。親友のアイラ・ガーシュウィンに意見を求めたところ、ガーシュウィンはこれをとても気に入りました。そしてこの曲は"虹のかなたに”とタイトルがつきました。

 その後、多くの成功を収めましたが、1970年愛妻を脳腫瘍で亡くして以来、生来の社交家は影を潜め、失望の余生を送り、1986年4月28日、ガンで亡くなりました。
明るくて人の心にまっすぐ伝わるメロディを作り続けたハロルド・アーレン。1924年から1976年にかけて、400曲以上を世に送り出しました。31人の作詞家と組み、ハリウッド映画やミュージカルの作曲に大きな軌跡を残しました。

●代表作
Between The Devil And The Deep Blue Sea (1931), I Gotta Right To Sing The Blues(1932), I've Got The World On A String (1932), It's Only A Paper Moon (1932), Stormy Weather (1933), Let's Fall In Love (1934), It Was Long Ago (1934), Over The Rainbow (1939), Come Rain Or Come Shine (1946)

池田みどり

「Inside Outside」第6回2010/07/21 21:45

稲森康利ジャズ講座
「Inside Outside」第6回目(2010年7月11日最終回)を受講して

講座は前回の後半から曲の分析に移りました。今回も曲は前回と同じグレートコンポーザーシリーズ「ジョージ・ガーシュインvol.1」からの2曲です。

●「Someone To Watch Over Me(誰かが私をみつめている)」
この曲には他に「やさしい伴侶を」という和訳のタイトルがついています。いづれにしてもメロディーからはふくよかな溢れんばかりの「愛」を感じます。稲森先生のアレンジは、まずイントロで旋律とBassを並行して下行させてあります。さらにテーマに入ってからもメロディーとBass Lineを並行(下行)させるリハモナイズを行い、これによりこの曲のイメージをはっきり印象づけられている様に思います。
そして前回の「The Man I Love」と同じく一種のDominant Motionを応用した半音下のkeyへの転調と、その後にくるテーマ部分の「感覚的に捉えた」と言われたリハモナイズにより、曲の深い所へ引き込まれて行く様です。
又、ヴァースを曲の途中に挿入されている事で曲全体がスケールの大きいとても豊かな感情の、聞き応え、弾き応えのある大作に仕上がっている様に思います。まるでこの一曲で一本の映画を観ているかの様です。
リハモナイズをもう一つ。Ⅴ7をⅡm7-Ⅴ7に分割する手法がメロディーに用いられています。その効果はちょっとしたインパクト感を生み、曲が引き締まって聴こえました(ちょっとの大切さがよく解かりました)。
この曲は「幸せ」で全身を包んでくれます。いつでも弾ける状態にしておきたいと思います。

●「My Man's Gone Now」
憂いを帯びたこの曲は何て美しいのでしょう。先生が弾いてくださっている間、私の心はアメリカに飛んでいました。今、この原稿を書く前にオリジナル(一段譜)の方と先生のアレンジの両方を弾いてみました。オリジナルの方は曲のイメージが今一つ、つかめません。背景が浮かんでこないのです。先生のアレンジからは、まずkeyがEmに設定された事により、Minorの陰影がより色濃く感じられます。そしてリハモナイズとハーモナイズにより、曲全体が一層、洗練された高みへと変身(?)している様に思います。
それと、あらためてガーシュインの凄さを思い知らされました。この曲は衝撃をもって心に刻まれました。



6ヶ月、6回の講座が終わりました。短期間ではありましたが、「Inside Outside」ではたくさんの手法を学ばせていただきました。そして「曲の分析」では、先生はアレンジする上での奥儀とも言うべき手法をおしげもなく私たちに教えてくださいました。たいへん貴重な講座を受講させて頂いたと思っております。稲森先生、本当にありがとうございました。心より感謝とお礼を申し上げます。
以上、最終回に寄せて…。

(文:山口万弥)