イナモリ・メソッド研究会教室発表会2015/12/10 11:10

2015年のイナモリメソッド研究会教室発表会は11月1日(日)世田谷区立烏山区民センターで行いました。
開催3日前、10月29日に稲森康利先生が入院されていた病院で亡くなりました。突然の事態でしたが、皆さんが一生懸命演奏するほうが稲森先生もきっとお喜びになると思い、また混乱を避けるため先生のご逝去はこの日は皆さんにお伝えしないまま開催したしだいでした。
東京本部教室では11月25日から1週間、教室にご遺影と花を設置し、生徒・講師皆さんでお参りしました。
また12月末にはイナモリメソッド研究会主催で先生を偲ぶ会を開催します。

稲森康利先生を偲ぶ会2015/12/30 11:46

12月28日13時から、イナモリ・メソッド研究会主催で稲森康利先生を偲ぶ会を開催しました。会場は稲森先生がお好きでよく昼食を召し上がっていた初台オペラシティ東天紅です。三重、長野、静岡など遠方からもご参加いただきました。主催者であるイナモリ・メソッド研究会室長挨拶のあと、参加者が一人ずつ順に自己紹介と稲森先生への思いを述べました。稲森先生らしいほほえましいエピソードを語る方もいれば、話の途中で涙ぐんでしまう方もいました。
また会場には1980年代からの教室発表会の集合写真や、懐かしい春山ビルの教室の写真、フジテレビ小川宏ショーご出演のころの写真、各地の公開講座の写真やIAJE(国際ジャズ教育者協会)国際大会参加時の写真などが展示されました。また稲森康利先生のジャズ教育についてのお考えがよく伝わる雑誌のインタビュー記事も数点用意され、皆さんが熱心に目を通されていました。
                                                     ※写真をクリックすると拡大します。
偲ぶ会
          当日司会の池田みどりさん、稲森訓敏先生、中央アート藤田哲也さん

《偲ぶ会主催者ごあいさつ 》

年末のお忙しい中をご参加いただきありがとうございます。

本日は稲森康利先生の略歴をご用意させていただきました。これを見ますと、改めて先生が大変なご努力と勇気をもって、新しい世界を切り開かれてきたお姿が浮かんでまいります。30代の活発で華やかな演奏活動で培われたものを、40代からは惜しげもなく著作に注ぎ込み、教育へと道を切り開いてこられました。50代なかばからはアメリカに本部を置くIAJE国際ジャズ教育者協会の日本支部会長という重責を6年間つとめられました。

イナモリ・メソッド研究会は1990年に稲森先生の公開講座を開くために設立しました。この25年の間に東京のほかに、各地の先生方のご尽力で奈良、福岡、富士宮、大阪、神戸、名古屋でも開催してまいりました。

イナモリ・メソッド研究会を設立した1990年の時点で先生の著書は50冊に及びました。40歳から執筆をはじめられ、日音、シンコーミュージックなどから7年間で13冊出されました。年平均12冊ということになります。これだけでも相当すごいことですが、82年に中央アートから「ポピュラーピアノスタディ」を出版され、中央アートとの30年以上にわたるお付き合いが始まったわけです。それから90年にいたる8年間は年平均45冊書かれていたことになります。この頃は仕事場にはテレビを置かず、執筆に集中されていたとのことでした。そして2011年の「ジャズキッズ」に至るまで120冊の著書を残されました。

先生の著書は宝物のような情報でいっぱいです。研究会は今後もこれらをたくさんの人たちに使っていただけるよう努力していきたいと考え、今後は理事会を設置して運営してまいります。本日は理事の方々にもご参加いただくことができましたのでご紹介させていただきます。

まず稲森先生の甥御さんで音楽表現法の研究者、リュシーメソッド代表の稲森訓敏先生です。また本日はお出かけかないませんでしたが、イナモリ・メソッド九州支部の松宮敬先生。そして富士宮支部の赤池よし子先生には本日ご出席いただいています。それから中央アート出版社の吉開狭手臣社長。本日はご参加かないませんでしたが、代理として稲森先生の著作の編集担当、藤田哲也さんがご参加くださいました。

また本日は、稲森音楽教室の80年代前半の生徒さんから最近の生徒さんにいたるまでご参加いただきました。本日の最長老は金谷忠則さんです。ご参加ありがとうございます。

そして、先生の歌曲を長年歌われてきた榎本玲子さん、作詞を手掛けられた佐野万里子さんもご参加いただくことができました。

参加者名簿はこちらで把握している限りでとりあえず作成いたしました。修正すべき点がありましたらのちほど自己紹介をお願いしたいのでその時に訂正していただければと存じます。     それではどうぞごゆっくり先生の思い出を語り合っていただければと思います。

              イナモリ・メソッド研究会東京本部室長 茂木千加子



稲森康利先生のご活動略歴

 

演奏活動
高校生時代、サックス奏者で9歳年上の兄、喜久雄さんの影響でサックス、フルー       ト、クラリネットなどを演奏。編曲も行う。 ピアノは高校1年から学校のオルガンと   ピアノで独学、まもなくピアニストとして活動をはじめる。
1952年(18歳)東京芸術大学入学とともに演奏の場は東京に移る。
1963年(29歳)平岡精二クインテットに入り、6年間在籍。

 フジテレビ小川宏ショーにレギュラー出演。

1971年5月   ピエール・カルダンの招きでパリのエスパスカルダン劇場に出演
1972年8月より ハーブ・オオタ・セクステットに参加。ハワイ・アメリカ本土ツ   
                      アー。
1994年月    ハワイツアー。クインカピオラニホテルなどで演奏。
1995~2001年 国際音楽の日ジャズフェスティバル(バリオホール、浜松アクトシ
          ティ、東京芸術劇場などで開催)に出演。

 

執筆活動
197410月(40歳)「フェイクポピュラーフルート」(シンコーミュージック)
      を出版。
      この後1981年までに日音、シンコーミュージックなどから13冊出版。
19824月(47歳)中央アート出版社から「ポピュラー・ピアノ・スタディ第1巻」
      を出版。
1990年には著作数が50冊に達する。
200110月 韓国の春秋社が「リードシート奏法1,2,3」「クラシック・イン・
      ジャズ1」を翻訳出版。11月、韓国5都市で公開講座を行う。
2005年4月 中国人民音楽社が「クラシック・イン・ジャズ1,2」を翻訳出版。
2011年の「ジャズキッズVol.1Vol.2」まで、120冊の著書を残された。

稲森音楽教室
春山ビルで教室を始められた年は不明だが70,年代半ばと思われる。
1981年(47歳)第1回稲森教室発表会オータムコンサートを開催。
        会場は青山のカワイ楽器パウゼ。
1984年第4回から2001年第21回まで
赤坂のOAGドイツ文化研究協会ホールで開催。
2003年より角筈区民会館、牛込箪笥区民会館、烏山区民センターホールで開催。
2013年3月 教室を初台に移転。
2013年第31回発表会で“Misty”を演奏されたのが発表会最後のご出演となった。

 

ナモリ・メソッド研究会
1990年に稲森康利先生の公開講座を行うために設立。
1990年6月 OAGホールにて公開レッスン+コンサートを開催。
19908月 第1回夏期公開講座開催。会場は青山のカワイ楽器パウゼ。
1993年3月 奈良ムジカセゾンに関西支部を開設。
2002年1月 名古屋に中部支部を開設、日響楽器で講座を行う。
2003年10月 九州支部を福岡県飯塚市に設置。
2004年11月 神戸支部を設置。
2005年5月 富士宮支部を設置。
25年にわたり、東京、奈良、大阪、福岡、神戸、名古屋、富士宮で講座を開催。

 

国際ジャズ教育者協会(IAJE
19911月 ワシントンD.C.で開かれたIAJE国際大会にて日本支部会長に就任。
      6年間会長を務め、毎年1月アメリカ各地で開かれた国際大会にツアー
      を組んで参加。
1992年  IAJEアドバイサリー・カウンシルに就任。