[音楽こぼれ話]“ヘンリー・マンシーニ“ ― 2010/11/02 11:30
オードリー・ヘップバーンが、映画「ティファニーで朝食を」で、ギターを片手に歌う「ムーンリバー」。映画そのものに息を吹き込む音楽を作り続けた巨匠、ヘンリー・マンシーニは、「酒とバラの日々」「シャレード」「ピンク・パンサー」「ひまわり」など、まさに映画音楽の王道をいく数々のヒット曲を生み出した。
1924年4月16日、オハイオ州クリーブランド市に生まれ、ペンシルバニア州で育った。イタリア出身のフルート奏者であった父にフルートの英才教育を受け、12歳でピアノを始めた。高校時代には地方オーケストラの首席奏者まで務めるようになった。ベニー・グッドマンの勧めでニューヨークに移住。ジュリアード音楽院に入学し、作曲をマリオ・カステルヌオーヴォ=テデスコとエルンスト・クシェネックに師事した。第二次世界大戦中は空軍に所属し、マーチングバンドとして活躍。そのころ、グレン・ミラー楽団に傾倒していた彼は、テックス・ベネキーに作品を認められることとなる。グレン・ミラーが飛行機事故で亡くなった後、テックス・ベネキーがこのバンドのリーダーとなり、ヘンリー・マンシーニはピアニスト兼アレンジャーとして抜擢された。
1951年にはハリウッドに移り住み、翌年よりユニバーサル映画の音楽スタッフとして、音楽監督ジョセフ・ガーシェンソンのアシスタントとしての下積みをしばらく経験することとなる。1953年には映画「グレン・ミラー物語」のテーマ曲がアカデミー賞にノミネートされるが、これはアシスタントとしての仕事だったため、クレジットはされなかった。やっと認められたのは、映画ではなくテレビシリーズ「ピーターガン」でのヒットだった。助監督をしていたブレイク・エドワーズとのコンビによるものである。1958年にはオーソン・ウェルズ主演「黒い罠」で彼の名がクレジットされ、頭角を現すようになった。
1960年代には数々のヒット作を世に送り出している。再びブレイク・エドワーズの作品で大当たりしたのが1961年の「ティファニーで朝食を」だった。主題曲「ムーンリバー」はグラミー賞を受賞。その後、このコンビは翌年「酒とバラの日々」をヒットさせ、1964年のグラミー賞を受賞している。1963年からは「ピンク・パンサー」が世界的なヒットとなり、シリーズ化するに至った。オードリー・ヘップバーンとのコンビは、1963年「シャレード」、1967年「いつも2人で」「暗くなるまで待って」がある。また、ソフィア・ローレン主演の「ひまわり」の主題曲も映画音楽で忘れてはならない珠玉のメロディーだ。「刑事コロンボ」のテーマもヘンリー・マンシーニが手掛けている。
温厚な性格で知られるヘンリー・マンシーニは、多くの人から慕われていた。クインシー・ジョーンズやミシェル・ルグランらとの作曲家・編曲家との深い親交もあった。いくつかの大学で名誉博士号を受け、後進の育成にも熱心だった。
1994年6月14日、膵臓および肝臓ガンのため、ビバリーヒルズの自宅で亡くなった。享年70歳だった。
オーケストレーション中心の映画音楽の世界で、ギター一本でもその存在感を主張する「ムーンリバー」。彼の音楽の主張は、豪華さだけではなく、いかに人の心に届くメロディーを作るかということだったのだろう。その琴線に触れる旋律は、変わることなく多くの音楽家に演奏されている。
●代表作
ティファニーで朝食を Breakfast at Tiffany's(1961年),ハタリ! Hatari!(1961年),酒とバラの日々 Days of Wine and Roses(1962年),シャレード Charade(1963年),ピンクの豹 The Pink Panther(1963年),いつも2人で Two for the Road(1967年),暗くなるまで待って Wait Until Dark(1967年),ひまわり I Girasoli(1970年),華麗なるヒコーキ野郎 The Great Waldo Pepper(1975年),ピンク・パンサー2 The Return of the Pink Panther(1975年),テン 10(1979年),スペースバンパイア Lifeforce(1985年),トムとジェリーの大冒険 Tom and Jerry: The Movie(1993年)
池田みどり
1924年4月16日、オハイオ州クリーブランド市に生まれ、ペンシルバニア州で育った。イタリア出身のフルート奏者であった父にフルートの英才教育を受け、12歳でピアノを始めた。高校時代には地方オーケストラの首席奏者まで務めるようになった。ベニー・グッドマンの勧めでニューヨークに移住。ジュリアード音楽院に入学し、作曲をマリオ・カステルヌオーヴォ=テデスコとエルンスト・クシェネックに師事した。第二次世界大戦中は空軍に所属し、マーチングバンドとして活躍。そのころ、グレン・ミラー楽団に傾倒していた彼は、テックス・ベネキーに作品を認められることとなる。グレン・ミラーが飛行機事故で亡くなった後、テックス・ベネキーがこのバンドのリーダーとなり、ヘンリー・マンシーニはピアニスト兼アレンジャーとして抜擢された。
1951年にはハリウッドに移り住み、翌年よりユニバーサル映画の音楽スタッフとして、音楽監督ジョセフ・ガーシェンソンのアシスタントとしての下積みをしばらく経験することとなる。1953年には映画「グレン・ミラー物語」のテーマ曲がアカデミー賞にノミネートされるが、これはアシスタントとしての仕事だったため、クレジットはされなかった。やっと認められたのは、映画ではなくテレビシリーズ「ピーターガン」でのヒットだった。助監督をしていたブレイク・エドワーズとのコンビによるものである。1958年にはオーソン・ウェルズ主演「黒い罠」で彼の名がクレジットされ、頭角を現すようになった。
1960年代には数々のヒット作を世に送り出している。再びブレイク・エドワーズの作品で大当たりしたのが1961年の「ティファニーで朝食を」だった。主題曲「ムーンリバー」はグラミー賞を受賞。その後、このコンビは翌年「酒とバラの日々」をヒットさせ、1964年のグラミー賞を受賞している。1963年からは「ピンク・パンサー」が世界的なヒットとなり、シリーズ化するに至った。オードリー・ヘップバーンとのコンビは、1963年「シャレード」、1967年「いつも2人で」「暗くなるまで待って」がある。また、ソフィア・ローレン主演の「ひまわり」の主題曲も映画音楽で忘れてはならない珠玉のメロディーだ。「刑事コロンボ」のテーマもヘンリー・マンシーニが手掛けている。
温厚な性格で知られるヘンリー・マンシーニは、多くの人から慕われていた。クインシー・ジョーンズやミシェル・ルグランらとの作曲家・編曲家との深い親交もあった。いくつかの大学で名誉博士号を受け、後進の育成にも熱心だった。
1994年6月14日、膵臓および肝臓ガンのため、ビバリーヒルズの自宅で亡くなった。享年70歳だった。
オーケストレーション中心の映画音楽の世界で、ギター一本でもその存在感を主張する「ムーンリバー」。彼の音楽の主張は、豪華さだけではなく、いかに人の心に届くメロディーを作るかということだったのだろう。その琴線に触れる旋律は、変わることなく多くの音楽家に演奏されている。
●代表作
ティファニーで朝食を Breakfast at Tiffany's(1961年),ハタリ! Hatari!(1961年),酒とバラの日々 Days of Wine and Roses(1962年),シャレード Charade(1963年),ピンクの豹 The Pink Panther(1963年),いつも2人で Two for the Road(1967年),暗くなるまで待って Wait Until Dark(1967年),ひまわり I Girasoli(1970年),華麗なるヒコーキ野郎 The Great Waldo Pepper(1975年),ピンク・パンサー2 The Return of the Pink Panther(1975年),テン 10(1979年),スペースバンパイア Lifeforce(1985年),トムとジェリーの大冒険 Tom and Jerry: The Movie(1993年)
池田みどり
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