[音楽こぼれ話]“ハロルド・アーレン“2010/07/15 21:47

ハロルド・アーレンは、“オズの魔法使い”の挿入歌、“虹のかなたに~Over the rainbow”の作者として有名です。1905年2月15日、ニューヨークに生まれました。彼の父親はユダヤ教会の合唱団の指揮をしていました。ハロルドは9歳からピアノを習います。彼はどうも練習は好きではなかったようですが、クラシックの楽譜をいとも簡単に弾いてしまうほどの才能がありました。しかし、彼はクラシックよりモダンミュージックに興味があったようで、12歳ですでに作曲をしています。それはラグタイムのような曲で、その後ジャズに熱狂的になり、バンドが町にやってくると、何としてでも見に行くほどでした。10代になると、いくつかのジャズバンドを結成し、ボードビルや映画館などで仕事をするようになりました。20歳になると週に75ドルから100ドルも稼ぐようになり、各地を巡業するほどにまでなりました。彼は作曲より歌うことのほうに情熱をかけていました。

1929年、ミュージカル“The Great Day”の役を得た24歳のハロルドは、伴奏者が風邪で休みだというので、リハーサルの代理をすることとなります。彼は遊びがてらに役者の登場にテーマソングをつけますが、そのアイディアが面白いと取り入れられ、彼はそのまま作曲家として迎え入れられることになります。そこで出逢ったのが、作詞家のテッド・ケーラーでした。歌手としての成功を目指していたハロルド・アーレンですが、この出逢いによって、作曲家として本格的に活動することになります。1930年には”Get Happy”が大ヒットします。

1920年代後半から1930年代、”コットンクラブ“は、キャブ・キャロウェイやデューク・エリントンらによって全盛時代を迎えていました。1930年から1934年にかけてハロルド・アーレンは専属作曲家となり、”Between the Devil and the Deep Blue Sea“”I’ve Got the World on a String” “It’s Only a Paper Moon”など、次々とヒット曲を生み出しました。特に”Stormy Weather”は、彼の親友である歌手エセル・マーマンの伴奏をし、ラジオ・シティ・ホール出演をきっかけに、全国各地のツアーを行いました。

 1938年、MGM映画“オズの魔法使い”制作のために、作詞家E.Y.ハーバーグとともに契約をします。“虹のかなたに~Over the Rainbow”は、突然、天から降りてきたように彼の頭を占領しました。彼は車の中で、あわてて書きとめました。翌日、ブリッジの部分を作曲しましたが、ハーバーグは曲想が合わないと指摘します。親友のアイラ・ガーシュウィンに意見を求めたところ、ガーシュウィンはこれをとても気に入りました。そしてこの曲は"虹のかなたに”とタイトルがつきました。

 その後、多くの成功を収めましたが、1970年愛妻を脳腫瘍で亡くして以来、生来の社交家は影を潜め、失望の余生を送り、1986年4月28日、ガンで亡くなりました。
明るくて人の心にまっすぐ伝わるメロディを作り続けたハロルド・アーレン。1924年から1976年にかけて、400曲以上を世に送り出しました。31人の作詞家と組み、ハリウッド映画やミュージカルの作曲に大きな軌跡を残しました。

●代表作
Between The Devil And The Deep Blue Sea (1931), I Gotta Right To Sing The Blues(1932), I've Got The World On A String (1932), It's Only A Paper Moon (1932), Stormy Weather (1933), Let's Fall In Love (1934), It Was Long Ago (1934), Over The Rainbow (1939), Come Rain Or Come Shine (1946)

池田みどり

コメント

トラックバック

このエントリのトラックバックURL: http://inamorimethod.asablo.jp/blog/2010/07/15/7409421/tb